ハチドリ日記

聡明で繊細、ギフテッド児子育て日記

【文科省「次期教育振興基本計画」パブリックコメントへの投稿】

文科省が、2023年1月13日~25日「次期教育振興基本計画の策定に向けたこれまでの審議経過報告に関する意見募集の実施について」についてパブリックコメントを募集していました。
https://public-comment.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=185001282&Mode=0

 

この時点での記載は下記の通り。

 

「特異な才能のある児童生徒に対する指導・支援
・特異な才能のある児童生徒について、学習や生活上の困難に着目し、その解消を図るとともに個性や才能を伸ばす。そのため、特異な才能のある児童生徒の理解のための周知・研修の促進、多様な学びの場の充実、特性等を把握する際のサポート、学校外の機関にアクセスできるようにするための情報集約・提供及び実証研究を通じた実践事例の蓄積等に総合的に取り組む。」

 

なるほど…

よくまとまっているのですが、違和感を感じるのは、私が「不登校や不適応は、学校教育の在り方が多様な子どもたちの最大公倍数を捉えられていないことを指摘してくれている」という価値観だからかもしれません。

 

募集について、下記の通りコメントを送りました。

 

(1)特異な才能のある児童生徒について、学習や生活上の困難に着目し、その解消を図るとともに個性や才能を伸ばす。

→特異な才能のある児童生徒にとって、学習上や生活上の困難はその豊かな才能と表裏一体のものである。そのため、困難そのものの解消を図るのではなく、その困難を特性として正しく捉え、個性や才能を伸ばす適切な環境へのアクセスを保障することが求められると考えられる。

(2)特異な才能のある児童生徒について、その特性から誤診により不適切な支援につながっているケースが多くみられる。そのため、まずは適切にその特性を把握し、誤診を防ぐ取組みが必要である。

(3)特異な才能のある児童生徒について、学校内外での多様な学びの場の充実は不可欠である。他方、天童中部小学校での実践のように、児童生徒が主体的に作り上げる学習は、特に強く自由と自己決定を求める特異な才能のある児童生徒にとって、また協働的な学びとしても大変有用である。学校内において、多様な「学びの場」だけでなく、「学びの形」を充実させることが必要である。

 

学校は大変な試行錯誤と努力を重ねていると思います。


その努力が足りないのではなく、むしろ足りないのは、あまりにも多様な子どもたちを一つの仕組みに組み込もうとするなら不可欠になる緩やかさなのではないでしょうか。

 

認知機能の発達の早さと、感情的な成長が、標準のペースからいえばずれていることもたちに、年次による計画的な指導要領ではなく、6年かけての仕上がりを目指してもいいのではないか。

 

特異な才能を持つ子どもは、そもそも同年代が苦手な子が多数。
学校の資源だけでは満たせない、ということを明らかにしているのだから、外部にリソースを求めてもよいのではないか。

 

「学校が扱いに困る子」というのは、解決すべき問題因子ではなく、学校教育にとってのヒント集なんだろうと思います。