【ギフテッド児だからって、難易度をあげればよいというものでもない】
今日は久々に「やってしまった…」と大後悔。
文科省が「特異な才能のある子ども」への支援に触れ、ギフテッドを対象とした教育プログラムを提供する団体も活発になっているなと感じます。
Aも子どもらしく、そしてギフテッドらしく、PCゲームやプログラミングが好き。いつもはめんどくさそうにすることが多いのに、こうしたものは目を輝かせます。
ただ、親の私がよく分からないので、ギフテッド児など「学校がつまらない」という子どもに向けたScratchプログラムにオンラインで参加しました。
が…
「初めての子も作ってみよう」と銘打っていたのですが、実際にはscratchが好きな若者が画面共有でどんどんプログラムを作っていくだけ。
画面上で他の子どもたちが分かった顔をしているか、全然見ていない。20名中、5名程度の一部のやり込んでいる子たちだけと進めていくのでした。
Aは最初は操作が分からないながら、何とか一緒に作っていこうとがんばっていたのですが、zoomでどんどん作られていくプログラムを同時にScratchで作っていくという難しさに、できなくて泣いて部屋に閉じこもってしまいました。
こういうときの辛さは、感情が豊かなだけに更に激しい。
何かができる人と、教えたりガイドしたりすることができる人というのは違う。
そんな当然のことを再確認しつつ、感情が激しいだけに、多様性を謳ったプログラムだからといって安易に選ばずに、慎重にしていかなければと改めて思った一日でした。